【8】静かなティールームで誰にも話したくない時がある
スコットランド旅行を記したエッセイ。毎週木曜日、日本時間の午後9時くらいに更新。全10回ほどの予定。
書くまでもないかもしれないが、雨の中での運転というのは、晴れの時とは全く様相が違う。空は暗く、視界は狭まり、音とともに雨粒がウィンドウを叩きつける。もちろん、疲れる。
風もある。
強風の日には、ハンドルにその風の強さを感じることになる。アイスランドでは強風に流され、本当に反対車線に出てしまったこともあった。ちなみに横風に対抗して無理にカウンターステアを当てようとすると、逆に体制を崩して事故の要因にもなるので注意が必要だ。
スコットランドに来て5日目。
それはまるで小さな台風がやってきたような、雨と強風の日だった。
スコットランド北海岸を去る時、薄暗い空が何食わぬ顔で空を覆い、雨が降ったりやんだりしていた。驚きはしない。スコットランドに晴れを求めてくるのは、グリーンランド帰りの鳥たちだけだ。
走りだすと、雲だけじゃなく、霧も出てきた。
頼りなさげなガードレールの向こう側は、風に活気づけられた海。そんな荒れ狂う波も、手前のいくつかしか見通せない。
一車線の道が続く。
対向車が来てるのか、判断も遅れる。
そんな中を、何かの修行のようにただひたすらと進んだ。
ただ、運転好きというのは不思議なもので、そんな荒れ狂う車のあまり来ない道を走っていると、妙にテンションが上がったりする。実は結構はしゃいでいて、怖がりながらもアクセルは割に踏んでいた。
南下するに従い、天気は目まぐるしく変わっていく。
大雨強風濃霧の時もあれば、春のように穏やかで温かみのある日差しが差し込んだこともあった。オーストラリアや欧州の天気予報では、時々太陽と雲と傘のマークが同時に描かれ、結局明日の天気にどう備えればいいのか分からない時がある。まさに、それを体現したような一日だ。
羊は天気をどれほど気にするのだろうか。
途中で通り過ぎたこの村では、村の入り口に羊たちが居座っていた。”Welcome”と書かれた看板の裏の道端に、こんな風に寝そべったり、座ったりしていたのだ。草を食べるのに飽きると、羊は実にやる気なさそうな態度をとる。
もふもふ。
ランチにはUllapoolという町でフィッシュアンドチップスを食べ、さらにスコットランド西海岸を南下していった。
気付けば、5日前に家を出てから、ずっと音楽を聴いている。
One OK Rockとジャズ、ドライブ向けの洋楽やピアノのクラシックソング等、いくつかのプレイリストを事前にSpotifyで用意しておいたのだけど、そのどれもがただ、騒々しく聞こえてきていた。
静かさを好んでスコットランドの片田舎に来ているというのに、音にうんざりするとは皮肉なものだ。
iPodの電源を切った。
あるいは音楽を止めたって、エンジン音が聞こえる。風は車に体当たりしてくるし、今日は大量の雨粒だって車に叩きつけてきた。
エンジンを止め、どこか静かな屋内に逃げ込みたい。
静寂に包まれ、誰とも喋らず、何も考えたくない。
疲れているんだな。
僕はそこで、やっと気づいた。
ドライブへのモチベーションがイグアスの滝のように激しく落下していく中、ちょうど新たな村を通りかかった。
いくつか、看板がある。
“Tearoom, turn right in 450 yards”
夕方だから、「もう今日は雨風強いから店閉めたよ」なんて言われても、僕としては文句が言えなかったのだが、幸いそこはひっそりと扉を開けていた。優しいティールームだ。(実際、イギリスでも気分で店を早めに閉めるところはある…。)
中は10人も入れば多いぐらいの広さ。家族連れが一組と、近くに住んでいそうなママ友らしき二人組がいた。みんな静かに話しながら、静かに紅茶を飲んでいる。
窓側の席(といっても全て窓側の席なのだが)に座り、僕は普通の紅茶を頼んだ。さしずめTwiningのBreakfast Tea辺りだろう。ダージリンやアールグレイでない限り、たいてい紅茶の種類は明記されない。ポットとカップと、マグに入った冷えたミルクが出される。
後で思い出したように、Scottish shortbreadも頼んだ。自家製らしい。
中は淡い赤を基調とした内装で、温かみがあった。人気のない外のデッキのテーブルには、今も雨が叩きつけている。外の雨と風がもたらした喧騒が、急に他人事のように感じられた。
僕は今、安全な場所で静かに、淹れたての紅茶とショートブレッドを前に揃えたのだ。
紅茶を少しすすった。…まだ熱い。
BGMには、最小の音量で少し前のヒットソングが流れていた。
ナレーションが入っていたから、どこかのラジオを流しているのだろう。本当に小さな音で、最初は流れていることにも気づかなかった。
あるいは、音に慣れすぎていたのかもしれない。
街で過ごしていると、常に周りには音が溢れている。車の音、ラジオの音。テクノロジーの進化により、歩いているときも気軽に音楽を楽しめるようにもなった。僕達は音に囲まれた生活を、当たり前のものとして過ごしている。
その様な人工的な音がなくなると、今度はやり場のない思いを抱いてしまったり、不安になったりしてしまう。音は知らぬ間に、安心感をも与えてくれている。
ある意味、音に対する中毒症状だ。
最初はBGMを鬱陶しく感じたように思えたが、少しずつ紅茶を飲んでいる内に、徐々にそれを受け入れられるようになってきた。
高ぶった神経を吸い取るように、ティーカップはしっとりとした音をたてた。ティーセットによくあるガチャガチャという音ではなく、まるで水分で音をすくい取っていくような響きをする。
同じ陶器で作られた皿にショートブレッドを置くときも、包み込むように受け入れてくれた。しっくりとくる陶器だ。とても気に入った。卒論でその良さを何枚にも渡って書き、教授に購入を訴えたいほどだ。
後で聞いてみると、近くの陶芸所で作られたものとのこと。
ティールームの入り口付近には、他にも地元の工芸品や織物、マスコット等が売られていた。
ティールームの居心地はとても良い。
体は穴にすっぽりとはまったように落ち着いていた。
必要としている物や場所が、必要としている時にあるというのは、とても幸せなことだ。
幸福感を味わうには、タイミングが重要なのである。たとえありあわせの物だけしかなくても、タイミングさえ合えば十分な幸福感が得られる。リラックスできる。ユニクロの服しか着てなくても、サイズとカラーリングさえ合わせればオシャレに見えるように。
僕の安定感も増したようにも感じた。
体の重心が少し下に下がったような気分。車は重心が低い方が、基本的に安定感が出る。マクラーレンMP4/4が、モナコ市街地サーキットを駆け抜けていく姿を思い浮かべた。レースカーの姿やサウンドというのは時に癒しさえもたらすことを、多くの人は知らない。
気がつくと、窓からは日差しが差し込んでいた。
店の前には庭があるのだが、そこではせっせと羊たちが草をむしっていた。
「君は羊が好きなのかい?」
写真を撮っていると、後ろから男の人に声をかけられた。このティールームの主人らしい。
「はい、大好きです!見かけたらよく写真も撮ってます。あなたも好きなんですか?」
僕は羊愛好会のパーティーで使われそうなあいさつの定型文から、初めての方にふさわしそうなものを選んだ。だが主人は顔をしかめて言った。
「俺は羊が嫌いだよ。」
デッキを降り、彼は羊を追い払い始めた。
「羊たちは本来、この庭にいるべきじゃないんだ。みんな横の牧場から来た。でも気が付くとなぜか、この庭にやってくる。まったく…。」
そう言うと、奥のゲートを開け始めた。
羊たちは一度逃げる素振りを見せたのだが、主人がゲートを開けるために奥へ行ったのを確かめると、また持ち場に戻って草をむしりだした。まるで合図を笛を吹かれたピクミンのように、機敏で目的のハッキリとした動きだった。
平行という言葉がしっくりくる。
扉が開かれると、羊たちはわりかし素直に塀の向こう側へそそくさと帰っていった。哀愁感はなく、どちらかと言うと悪ガキがつまみ出される様に近い。そういや、この羊たちはどうやってゲートを潜り抜けてきたのだろう?
「まさか、塀を飛び越すんですか?」
冗談のつもりで言ってみた。
「そうだ。」
主人は呆れた顔をしていた。
「羊たちはあの塀ぐらいの高さなら、飛び越すことができる。実際に見たことがあるから確かだ。鮮やかに塀を飛び越していた。」
羊にも苦労はあるし、苦労をもたらしもするのだ。
僕はかなり癒され、リフレッシュした自分に気づいた。
第8回あとがき
留学を通して身をもって学んだことの一つに、休憩をしっかり取るということがあります。
毎日張り切って100%の力で過ごしてしまうと、いつかたまった疲れが一気に来ます。最初はそれでも構わないのですが、段々ダメージも大きくなってきて、結果的に効率も悪くなってしまう。
何かを長く続けるには、それに応じた、適した休憩の取り方をこまめにした方が(僕にとっては)良いようです。
ティールームとその周りの環境は、まさにその時、僕が必要としていた休憩でした。行けてとてもラッキーだったし、しっくりときました。
自分の疲れが取れ、喜べる休憩の取り方を一つでも多く知っていくと、少しくらい忙しくなったところで、動じなくなりますよ。
ちなみに今回訪れたtearoomは、Maggie’s Tearoomというそうです。こじんまりとして良いところです、ぜひ!
以上、わたぽんでした。ほなね!
わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
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