インターネット疲れを脱し、自分らしく生きるには?-自分だけの欲望を知ろう

自分が自分じゃなくなっていく。
こんなに怖いことは、そうそうないでしょう。しかもそれが、身近なインターネットの影響で起こっているとすれば。

インターネット、特にTwitterやFacebookのようなSNSを利用し始めた時、まるで世界が広がったように感じたんじゃないでしょうか。好きな有名人のおすすめ本も分かるし、最新のカフェ情報も、今ではスマホを使えば手に取るように入手できる。すべて、自室のベッドの上で。

 

しかし、今は逆に考えるようになってきました。

「インターネットによって、自分がコントロールされている…?」

広がっていくはずの世界が、逆に制限されている。そうして、自由なはずのネットで疲れていく。

感覚的にずっとずっと気になってたことなんですが、言葉で表現するのは難しいものです。ですがちょうどうまい具合に文章で表現してる本に出会ったので、その本の言葉を借りつつ書いてみます。ネット社会で周りに流されず、「自分らしく」を実現するには?

 

 

「他人に見せる自分」が影響力を増す

SNSを利用するようになって、「他人に見せる自分」を意識することが多くなってませんか?

 

Instagramで写真をアップするために、おいしいごはんを前に綺麗な角度を模索する。Facebookでは何か達成すると、近況報告と題しつつ、自己アピールも含む。人によっては、SNS上での自分を華々しく見せるために、食べる物や行く場所、行動を考える。

もちろん、インターネットのせいでこうなった…というわけではありません。それ以前でも、例えば流行を綴った雑誌に振り回されたり、合コンの話題作りのために誰もやらなさそうなことをやる、なんて人はたくさんいました。

ただ、あまりにもネットが身近になった今、「他人に見せる自分」を意識する時間が増えてしまいました。いつしか、「他人に見せる自分」が「本来の自分」と逆転してしまった、なんて人もいるかもしれません。

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僕は人に影響されやすい性格のため、今振り返れば、「他人に見せる自分」が中心だった時期もありました。

 

イギリスへの大学進学が決まってからブログを始めました。そこから、ネット上の自分とオフラインの自分の共同生活が始まりました。

ブログ界やその時傾倒していたビジネス系の影響もあり、Twitterでは見知らぬ人でも、興味があったり共通点があれば構わずフォローするようになりました。イギリスに来てからは、Instagramでイギリスでの食事の様子をアップし、Facebookでは近況報告なるものを書くようにもなりました。

当初は、多くの人とは違う生き方している、興味の対象が少しズレてるから、それを強みとして発信してみようと始めたブログやTwitter。いつしかそれが、ブログで書くために何ができるかな?という考えをするようになってきました。徐々に。知らず知らずの内に。

 

ブログだけじゃありません。Twitter、Instagram…ブログとセットでやってたもの全てが、思考に影響を与えました。

一応、自分ではそうならないよう、あるいは自分はそうじゃないと言い聞かせていました。でも、意識してる時点で、もう終わってたんですよね。僕は他人に見せる自分に取りつかれていた。実際には完全にブログのための生活とはならず、ブログと自分の欲望、両方の主張を受け止め、両方が喜ぶ選択をするようになりました。

面白いのは、自分の書くブログの記事も、厚みがなくなっていったこと。ブログに書けるように生活してるのに。自分でも書いてて面白くない。それはつまり、ネットを介した影響、自分の変化で、自分の心の奥底から伝えたいことを書けなくなったってこと。誤解を恐れずに言えば、他の人の心に響くような記事が書けなくなってしまった。

 

 

自由なインターネットで多様性を失う

「ブログやTwitterを始めて世界が広がると思っていたのに、なんか違う気がするなあ」

ブロガーのチェコ好きさんの電子書籍「旅と日常へつなげる」で、このモヤモヤがハッキリと書かれていました。

インターネットの検索機能を使ったり、SNSで人と繋がることは、使い始めはまるで自分の階級や世界を解放してくれるような感覚を覚えますし、それは決して嘘ではありません。だけど、使っているうちに必ずどこかで天井にぶつかります。

つまりネットによる世界の広がりには、どこかに限界点があるということ。もしかしたら一部の人は違うのかもなーとも思いましたが、いずれにせよ、大多数の人は当てはまるんじゃないかと。むしろ全体的に言えば、多様性が失われていく。当初の想像とは逆なんですね。

 

「旅と日常へつなげる」では、ジョージ・オーウェルの「1984年」という本の内容を例に、インターネットにおける多様性の損失が解説されています。僕はこの本を(ずっと知ってたのに)読んだことがないので触れることは避けますが、解説されていることは簡単に言うと、SNS等に投稿するということで、自ら「相互監視の世界」に足を突っ込んでいるのだという内容です。

同時にこの「相互監視の世界」は、自己アピールの恰好の舞台でもあります。どんな物がウケるか?他の人がいいなと思うか?意識して、あるいは無意識の内に、考えながら投稿する場合がほとんどです。文章を書かない人でも、例えば写真を撮る時などに意識しちゃってるんじゃないでしょうか。

いやいや、そんなことないで。と言われましても、投稿してる時点でなにかしら「相互監視の世界」の影響って、知らず知らずのうちに受けてるんです。まあ、別に悪いことばかりじゃないしそう落ち込まず。そもそも自己表現は人間の欲求の一つですから。僕だって注目してほしくてやりがちです、そういうの。

でもこうやって、ネット経由で無意識の内に影響を受け続けたらどうなるか?チェコ好きさんは、

SNSによる相互監視の世界が進むと、正しさも、価値観も、欲望も、あるものはどんどん強まって、あるものはどんどん弱まって、結果的に多様性が失われてしまうことになってしまったとしても、私は驚きません。

と書かれています。(SNS、インターネットを少しごちゃ混ぜにしてますが、僕はSNSと同時に、ブログ等も含んで考えています。)

僕は一度自分を見失った身。自分をコントロールできてないでいた、つまり多様性という観点で言えば、失われていた。チェコ好きさんの意見に今は、そうなんやろうなーと思っています。呆然としつつ。

 

 

自分を理解すればいい

…そんなこと言われても先生、どうしたらいいんですか?
一番後ろの席から、山田君は叫んでいます。

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たしかに、これほど難しいこともなかなかないです。しかし同時に、とても重要でもある。デザイナーの奥山清行さんは、

今まで生きてきて、一番わからないのが自分だ、と思っている。でもその自分を理解できた時は、本当に強い。
(「人生を決めた15分 創造の1/10000」より)

と語っています。

自分を見失わないためには、自分を知ればいい。自分と対話すればいい。なぜ自分を見失いがちかというと、今ではSNSなんかで他人と繋がりをすぐ持てるから、自分と対話する時間が足りていない人はすぐに流されてしまいます。今まではそんなに簡単に流されるってことは少なかったのですが。

 

自分との対話を促す一つの方法として、周りとの接触を断つというものがあります。つまりネット、特にSNSや他ブロガーさん等の書く情報を、一旦遮断すればいい。

そう考えた結果、夏に目に穴があくほど見回っていたニュースキュレーションやブログ記事、Twitterなんかから距離を置くようになりました。(以前他記事で書いた通り、これは留学中の日本語情報を遮断するという試みも含んでいました。)

そして目の前のことに集中し、日々こなしていくことを徹底しました。他人のためでなく、自分のため。特に誰かに言うつもりもなく、Twitterに書くつもりもなく、ブログのことも考えず。ただ、黙々と。

 

折りしも、似たような方法が「旅と日常へつなげる」でも紹介されています。チェコ好きさんの場合、「旅そのものに集中する」旅を実践されたそうです。例えば一週間ほど海外へ旅に出かけ、その間はSNSへ一切繋がない。言葉を借りれば、

他人によく見せるため、何かの情報を伝えるために目の前の現実を「編集」してしまうのではなく、SNSを断ってありのままに受け入れる。

という旅です。
最近よく聞く「若いうちに旅へ出よう」というのは、こういう意図もあるのかもしれません。僕の場合は、イギリス留学中だったので、似たような部分がありました。

個人的に、この試みは成功しました。曖昧な言い方ですが、自分に素直になれたし、自分の、自分だけの欲望を思い出し、今はそれに沿って行動できていると思います。僕はこの「自分だけの欲望」というのはとても大切だと思うし、大事にしたいと思っています。以前はインターネットを通じ、「自分だけの欲望」がどんどん隠されていってた部分があるので。

 

またこの時、もう一つ大切なことを意識していました。これまたチェコ好きさんの言葉を借りれば、

言葉遊びをやめ、身体性を取り戻す

ということ。
SNSやネットを利用しまくると、どうしても「自分の意見を養ってる」つもりが、「他人の言うことを言い換えてる」だけになりがちです。だから、自分で見て、感じて、考える。そういうことを大事にしようという、当たり前のことです。当たり前だけど、ネット・SNS社会の今では、難しいものです。

 

この様なネット断食は確かに自分を知る上で効果を発揮しますが、ネット社会の今、ずっとネットから離れていては不利益を被ります。あくまで一時的処方にしかならない…チェコ好きさんは「ポスト・インターネット」というキーワードを挙げ、こう書かれていました。難しい時代に生まれてきちゃったもんですね。やれやれ。

 

 

わたぽんのまとめ的なにか

「自分らしく」とはよく言われてますが、そんな簡単なものではありません。明確なようで、曖昧。結構難しいです。あなたの「自分らしく」という定義自体、人によっては他人にされているかもしれませんよ。

自分らしくなるには、自分を理解すること。ネット断食は強制的に自分との対話を促す手法と言えますが、あくまでそれもきっかけ作り。究極的には、ネットと戯れつつも、自分らしくい続けられるようにならないといけない。いや、別にいけないことはないけど、少なくとも面白くはないなーと思います。人としても、自分でそんな生活してても。

「相互監視の世界」は、想像以上に思想がコントロールされているから、注意しなきゃね。

また、チェコ好きさんの文章、洞察は好みです。多分文章の感性があってるのかと。僕はブロガーらしき者でもありますが、素直に尊敬しています。チェコ好きさんのブログもかなり面白いですよ。

度々引用させてもらった本は、こちらです。

旅と日常へつなげる ~インターネットで、もう疲れない。~

自分だけの欲望か何かみたいなの、大事にしたいですね。

以上、わたぽんでした。ほなね!



わたぽんの簡単な自己紹介

わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら

ブログ「わたぽんWorld」について

僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!

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プロフィール

わたぽん(@wataponf1_uk)

高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでの1年インターンも獲得。現在は卒業し、日本でF1から離れ生活中。 詳しいプロフィールはこちら


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