生存者バイアスって読者の想像なんじゃない?

こんにちは、イギリスで大学生してるわたぽんです。

時より、Twitterで「生存者バイアス」に関するつぶやきを見かけます。例えば、「海外でうまくいってる人の言うことを実践してもうまくいかない」とか、「ビジネスで成功してる人の言うことは結局、うまくいったから言えてることだ」とか。

バイアス、つまり偏見。ようは、成功者の言うことを聞いても、「たまたまうまくいったことを聞いたって、学べることないよね」っていうこと。だと僕は理解しています。

そうなんでしょうか?

 

そうかもしれない。

ずっと僕はそう思っていました。あるんだろうな、と。たまたまうまくいったことを、あたかも一般化してしまう現象。そして今でも、生存者バイアスに捕らわれてる人は、少なからずいると思います。

一方、これって読者の想像の産物の産物じゃないんだろうか?あるいは、読者の過去の経験から導かれた、ある意味別の偏見なんじゃないだろうか?とも思います。

なにやらややこしそうな事に、首を突っ込んでしまった気がします。まずはオーストラリア産の爽やかな赤ワインでも一杯飲んで、続きを考えてみましょう。

 

同じ記事から学ぶ人、学べない人

そもそもの発端は、先日見かけたツイートです。

この記事に対して、「参考になる」と言ってる人と、「全然参考にならん」と言ってる人がいました。

記事の内容は省略しますが、ざっと読んでみると、流れはいかにも日本人が好みそうな感じ。「こんなことがあって、逆境に立たされて、でも乗り越えてこうなった。」
書き方悪いかもしれませんが、まあ僕もこの書き方してる節あるんでご愛敬ってことで。笑

「ふーん、この人、こんな過去あったんやー」と個人的には思いつつ読んだのですが、人によっては、「海外(イギリス)就職の大きな壁となるビザや英語、CV(履歴書みたいなもの)等が夫頼りで、全然参考にならない」という旨の感想を持ったようです。なるほどなあ。

たしかに、英語やビザは、大きな難関となります。
僕自身、イギリス企業での面接を受けたり、イギリスの大学の組織で動いてたりして、色々と痛感することはあります。「もしイギリス人だったら、なんて楽なんだろう」と。英語ペラペラ、ビザ問題なし。最高じゃないか。

 

数日後、生存者バイアスについてのツイートを見かけて、ふと思いました。

「もしかして、生存者バイアスって、そう言ってる人こそが”バイアス”を持ってるんじゃないか?」

 

生存者バイアスという偏見

bias=偏見

高校の時に、”びあすってなんやねん?”と辞書を引いてみたら、偏見と出てきました。偏見という日本語の意味を理解したのは、半年後。

生存者バイアス。
「たまたまうまくいったことを、あたかも一般的法則であるかのように勘違いされた事象」とでも言うのでしょうか。人によっては、ブログやツイッターで、堂々と語ってしまってます。今夜の酒の席では、とある人の生存者バイアスがメインの話題になってるかもしれません。

実際、”生存者バイアス”と捉えられかねない内容のことは、「なんやその運とコネで掴んだ結果は!!?」と大阪のおばちゃんに突っ込まれても、不思議じゃないものばかりです。多分そのおばちゃんの髪の毛の色、グリーンです。(これもある意味偏見ですね)

というか、大阪のおばちゃん以外がツッコんでるから、こうも一般的に出てくるのでしょう。「生存者バイアス」という言葉。

ただ、どこか言い訳のようにも聞こえます。

あるいは、自分の過去の失敗から形成されたバイアスが、生存者バイアスを生み出してるのかもしれない。

形のある部分と見えない部分。

そのバランスが、その人の中で狂ってしまってるのかもしれない、と。

 

形のない部分にあるかもしれない答え

見えないところ、書かれていないところに答えがあるのかもしれません。

例えば運、気持ち的な問題、行動力。案外結果は、外から見えにくいものばかりが決めてるのかもしれません。

僕が一つ信じてることに、「自分は運が良い」というものがあります。
いつも何かしらツイてるな、と。もはや、お酒の飲みすぎからきてる勘違いという説も否めませんが。たまに同じように言ってる人がいるから、そう特別なことでもないようですけど。

留学して夢を追ってる身と思うのは、”運”や”縁”がかなり大事だということ。というか、最後はいつも運だったりします。うまくいけば運が良かった。いかなければ、それもまあ運だと。

これを運や縁で頭の中お花畑で終わらせてもいいんですが、大事かもしれないのはこの先。

「形のない部分、書かれてないようなことにこそ、答えが隠されてるんじゃないか?」

運や縁には、いつもその発端となる行動があるはず。そしてその行動のきっかけとなった考え、環境、状況、悩み、悔しさなんかが、一番注目されるべきポイントじゃないのかなと。

例えば前半で紹介した記事を読んでみても、現在の当人の状況は「過去の決断の積み重なり」でしかないし、「当人が動いた結果」であります。運良いよな~とは思いますが、それが主人公だとは思いません。どちらかと言えば、名脇役。それなのに人生という脚本は、主人公をあまり表に出さない傾向にあるようです。

それを自分で勘違いしてしまったのが、いわゆる「生存者バイアス」にかかってる人かなと思います。

 

その逆パターンもあるようです。

もったいないなと思うのが、なんでもない話でも、生存者バイアスを挙げて何も学べない人。過去に似た経験があり、運のせいで逃したことがあったのかもしれません。

以前なら「ほんまに運のせいかいな、結局おまえの努力が足りんかったんやろう」と思ってたのですが、本当に運が悪くて逃すチャンスもあることを知りました。

でもだからと言って”運”を全てだと思ったら、間違いです。それこそ、バイアスです。

生存者バイアスとは、語ってる本人よりも、読んでる、聞いてる人の方にかかってる偏見のことを言ってるのかもしれません。

 

わたぽんのまとめ的なにか

ちなみにわたぽんは、書き終わった時点で冒頭の赤ワインを4杯飲み終えました。スーパーの在庫セールで安かったのに、美味しかったんですよね。

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プロフィール

わたぽん(@wataponf1_uk)

高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでの1年インターンも獲得。現在は卒業し、日本でF1から離れ生活中。 詳しいプロフィールはこちら


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