理想がバカにされる戸惑い…安保法制に関する反応の気になるところ、「現実的に」がすべてなの?
こんにちは、わたぽんです。
僕はとても気になります。ムズムズします。
2015年、安全保障制度の改定に関し、安倍首相が必死で改革を訴えかけたり、渋谷では毎週金曜日に反対する若者を中心とした人々による大きなデモが行われたり、波紋を呼んでいます。
この議論に関し、別に賛成だ!反対だ!とこの記事で主張するものではありません。
ただ、議論や周囲の反論に関し、気になる部分があるのです。それが、「理想を言うのがバカにされてる現実」です。一学生の意見として、綴ってきます。
理想がバカにされている?
国民の理想とはなんでしょうか?
そんなの分かりません。人それぞれ違います。でも根底には、自分は生き延びたいという気持ちが、多くの人にはあると思います。生存本能ですね。
安定して生き延びるためには、平和であることが基本的には最良です。争いをせず、皆仲良くやっていくのです。できれば武器なんか持たずに、的確な話し合いで解決していくのが一番でしょう。僕はこれを、多くの人が思う「理想」だと捉えています。
しかし現実の日本では、自分も武器を持つことで抑止力にし、もしものときには武器で対抗する準備をしているように映ります。
別に不思議なことではありません。例え自分からアクションを起こすことはなくても、やられた時に対処する力があるに越したことはないです。そしてこれが妄想論だとも思わないし、世界情勢が色々変わってきている現在では、完全に間違った道だとも言えないでしょう。
(ちなみに僕は、安保法制や秘密保護法が変わることですぐに日本が戦争する国になるなどとは思っていません。その辺は冷静に見ているつもりです。反論するときは、そんなアホなことでごちゃごちゃ言わないでくださいね。)
さて、僕が今回気になっているのはここからです。
法制改定の方向的に、日本が戦争できる国になりつつある。他国の戦争に関わろうとしている。という見方を多くの人がして、反対の声をあげています。大規模なデモも渋谷や京都で行われたりしました。
それに対し、「いいや、安保法制の改定は必要なものだ。」という風に、首相の主張に同調する人の意見も多く見かけられました。BLOGOSなどを見ていると、両方の意見や見方がでてきて興味深いです。
双方の意見が完全に交わることはないでしょう。
ただ、僕にしてみれば、安保法制の改定に賛成している側の論調に、何とも言えない気持ち悪さがありました。
肯定派の人は、よく、「安全保障上の問題では、安保法制の改定は必要なもの。切れ目のない対応を可能にするために必要。」などという論調で主張しています。これは、日本が攻められることに対する抑止力にするため、また攻められた時にも対応できるようにする、という方向性です。
この抑止力ですが、なぜ彼らは他国への介入などによって守ろうと、必死に考えるのか?他にも「理想的」な道があるんじゃないか?と常々僕は思っています。
つまり、もっと平和的に進めることはできないのかということです。
これを切り取れば、僕は反対派として映るでしょう。
ただ問題は僕が賛成か反対かなどではなく、この「理想」の道筋がバカにされている彼らの見方が、僕としてはムズムズするのです。
肯定派からすると、安全保障の観点から見れば、いざという時に戦える国が良いのでしょう。そしてそれは、とても現実的であります。
例えば他国が攻撃しようというときには、その先に広がっているのは無情な光景です。気になるのは、勝つか、負けるかだけ。軍事的に弱い国が攻め入られるというのは、歴史的に見ても当然のことです。軍事力が高ければ、安易に手出しもできません。
これがただの非現実なゲームで、ただ無心に勝ちたいと思えば、僕もしたたかに軍事力を高める方向性は、ある程度とっていくと思います。
しかし、です。
現実的な考えは、それはそれで良いのですが、その対極にある本来の理想的な考えが軽視されるのはおかしいんじゃないの?と思うわけです。
武器を持たず、武力を行使せず、ニコニコと笑顔で仲良くして、平和を維持するという理想が、バカにされている、と。
理想は武力も何も必要ない状態
理想がなんなのか、僕の理想ではありますが、ある程度明確に説明しておきましょう。
まず、戦力を整えることで抑止力になり、よって戦わず平和になるというのは理想ではありません。理想は武器なんて持たず、誰も殺さず、特に関係ない一般人なんかには特に悪影響を与えずに、物事を解決できるようにすることです。
そういう意味では、戦後の日本は完全な理想ではありませんでした。アメリカに守られてる状態でしたし、自衛隊という名の限りなく軍に近いグループもありましたしね。
ただ、軍力を持たないという理想をむやみに追及すると、きっと他国に侵略されてはい終了、おーわり、でしょう。
だから、軍を持っていなくても、他国が攻めにくい状況を作り出すようにします。
例えば永世中立国のスイスは、他国にすればとても攻めにくい国でしょう。スイスは一応軍事的に対応する力はあるものの、あれだけ徹底した永世中立国スイスを攻めれば、国際世論的にただ不利な方向に流れるだけですからね。
言い換えれば、外交的にうまくやってこうよということです。情報をきちんと咀嚼して、変な方向に踏み外さないようにして。そうすれば武力なんてなくてもやっていけるでしょ?ということです。とても難しいことだとは思いますが…。
日本は多くの国から、「戦争をせずに発展してきた国だ」と尊敬の念も込めて見られることがあります。例えアメリカのおかげでやってきたとか、そういうことがあったとしても、この事実は変わりません。争いなしで成長してきたのです。このプラスの評価を利用しない手はないと思うのですが。
過去の教訓も含め、日本ほど「平和」を全面に押し出して、武力なんて一切なしでやってくことが可能な国はないと思っています。
日本がさらに平和的に進むことができれば、最終的には平和モデルの最前線としてアピールすることも可能です。そのアピール自体が、他国の侵入を阻む抑止力にさえなりえます。
しかし、こんな理想を口に出したりなんかしたら、そんな「夢物語」出すなと言われるでしょう。
もし肯定派の政治家がこの理想論を耳にすれば、政治にそんなに強くない理系の僕を惑わす言葉で、まくしたててくるでしょう。
現実に、例えば憲法9条の改正を賛成する人達は、理想だけじゃダメなんだ、現実的に改定が必要なんだ。という旨の主張が度々されています。もしかしたら一部かもしれませんが、されています。
でも…でも、ですよ。
同じような理想論というのは、「理想と現実は違う」と否定されるもんじゃないと思います。
現実的な道を歩むのは大事だし、うまくやれば安定の道を進むことも不可能ではないでしょう。
ただ、理想を追い求めるのも、とても大事だということを忘れないでほしい。
もっと大きく言えば、理想を冷笑し、無視するような世の中にはなってほしくないと思います。
今回の件では、最も理想的な道の考察をしっかりせずに、現実的な道を歩もうとしているように映ります。
こんなの言っても無駄かもしれない。
何も変わらないかもしれない。
でも、最後に何か一つだけ言えるとしたら、僕はこう伝えたいです。
「むやみに、変に戦える方向に進むぐらいなら、これでもかと思える理想を追及するための議論をもっと活発にしてほしい。」
今日はこの辺で。
以上、わたぽんでした。ほなね!
わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
Comment
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興味深く拝見させていただきました。わたぽんさんの言いたいとにほぼほぼ賛成です。
目先の話と、表面的な部分しか議論されず残念に思っています。この責任は何一つビジョンを示せなかった反対派にあると思いますが。
スイスの状況について言及されてますが、この国はとても武闘派の国です。当たり前に徴兵制があります。傭兵ビジネスも盛んです。それから国際的なプライベートバンクが数多くありますので下手にスイスを攻撃しようものなら各国の金持ち(支配層)が黙っていないからある程度平和が守られているわけです。 今となっては手遅れですが、こういった間違いを賛成派は指摘して馬鹿にしてくるのでコメントさせていただきました。