「暗黒の週末」F1で忘れてはいけない日 後編

2人のF1ドライバーが亡くなった、暗黒の週末:1994年のF1サンマリノGP。後編はアイルトン・セナの死について書きます。

前編はこちら

 

1994年5月1日img_0

イタリアにあるイモラサーキットはとても穏やかな雰囲気が漂っていた。まるでたんぽぽの綿毛のようなものがふわふわと、そんな日だった。

しかしこの日、また事故が起こり、1人のドライバーが犠牲になった。
アイルトン・セナ、音速の貴公子とも呼ばれることがある。
レース前、彼は「走りたくない」と言っていた。だけどレーサーなので、もちろん走る。
彼のレース前の不安げな表情。彼はこの先におこることを予見していたのかとも思わせてしまう。

この日のレースはとても混乱していた。スタート直後からクラッシュがあり、タイやが観客席に入り観客に死傷者がでた。
セナの事故はその後だった。(レースの詳細は他でも詳しく書かれているので省きます→1994年サンマリノGP)
彼は高速コーナーで時速200km/h越えで、コンクリートの壁に激突した。

決してセナの運転が悪かったわけではない。マシンの問題だった。

セナの死は、世界中に悲しみをもたらした。特に彼の母国、ブラジルでは、アイルトン・セナを国葬として扱った。つまり彼は、それほどブラジルで人気の、母国のヒーローだった。
日本でも、すべてのチャンネルでニュース速報が流れるレベル。彼の存在はあまりにも大きかった。アイルトン・セナという存在については、また特集でも組もうかと思う。

 

この時、僕はまだ生まれていませんでした。だからすべて他のニュースで見たりしたことです。可能なら、彼のレースを実際に見てみたかった。そう思っています。
F1では彼が亡くなってから今まで、ドライバーの事故死は0になりました。彼の死が変えたのです。
F1にとって、おそらく最大の転換点。「暗黒の週末」とも呼ばれます。
あれから20年、F1で絶対に忘れてはいけない日

以上、わたぽんでした。ほなね!



わたぽんの簡単な自己紹介

わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら

ブログ「わたぽんWorld」について

僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!

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高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでの1年インターンも獲得。現在は卒業し、日本でF1から離れ生活中。 詳しいプロフィールはこちら


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