「暗黒の週末」F1で忘れてはいけない日 前編

2014年4月30日
4月も今日で終わりで、明日からは5月。GWもあります。そろそろ気温が上がってきて、昼間は半そででもすごせるほどになってきましたね。

ところでみなさん、20年前の今日、何をしていましたか?
まだ生まれていないという人も多いでしょう。僕もその1人です。
そんな20年前1994年4月30日、1人のレーサーが、イタリアのイモラサーキットで事故死してしまいました。

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1994年4月30日 イタリア・イモラサーキット

天気はよく、ほのぼのとした感じだったそう。
イモラサーキットで行われていたのは、「F1サンマリノGP」。土曜日だったこの日は決勝でのスタート順を決める予選の日だった。

予選開始から20分がったとき、事故は起きた。

コーナーを曲がりきれなかったマシンが1台、テレビに映し出された。映し出されたと言っても、スピードが速いため、カメラも追いついていない。カメラに映ったとき、マシンは既に大破していた。
ドライバーは”ローランド・ラッツェンバーガー”、シムテックというチームから参戦していたオーストリア人。F1では新人で、1994年からF1のドライバーになることができた。

これがF1で12年ぶりに起こったレース中の事故死だった。
僕は当時、生まれていなかったのでウィキペディアに詳細は譲るが、

コーナー手前でフロントウイングが脱落しコントロールを失い、マシンは310k/hでコンクリートウォールに激突した。病院に搬送されたものの、頚椎骨折、内臓破裂などでほぼ即死の状態だった。33歳没。 事故の衝撃は、強度の高いカーボンモノコックに穴が開くほどのものであり、ラッツェンバーガーの体は露出していた。 by Wikipedia

事故のすさまじさ伝わってくる。
F1の関係者もファンも、悲しんだ。そしてもうこんな事故はごめんだと思ったはず。こうして、土曜日の予選は終わり、レースは翌日の決勝に進むのだった・・・

この人の事故死はあまり大きく取り上げられることはありません。それはその翌日、5月1日の方が世間に影響が大きかったからです。
しかし忘れてはいけません、ラッツェンバーガーも立派なF1レーサーです。

でも、この人のことに触れないわけにはいけない。
アイルトン・セナ、後編では彼について書きます。日本中、いや、世界中が泣いた1994年5月1日について。

以上、わたぽんでした。ほなね!

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わたぽんの簡単な自己紹介

わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の本場:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかり経験するも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。夢の力を証明したい。詳しいプロフィールはこちら

ブログ「わたぽんWorld」について

僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
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