ないものねだりは”あえて”やめない。求め続ける何が悪い?
こんにちは、イギリス留学から一時帰国中のわたぽんです。
ないものねだり。
自分にないものをどんどん欲していくこと。否定的な見方が多いようですが、僕にはなぜだか分かりません。
「ないものねだり」はあえてやめない、そう思う理由を本日は書いていきます。
「ないものねだり」はやめなさい。
「ないものねだり」はやめなさい。その言葉に僕は驚きました。
きっかけはふとした気付き。
人に会ってると本読みたいと思い、家でブログ書いてたりすると人に会って話したいと思う。ないものねだりをしてるんやね。
— わたぽん/Wataru Kawamoto (@wataponf1_uk) June 29, 2015
他にも「勉強から離れたら勉強したくなった」とか、「日本に帰国したらイギリス戻りたくなった」とか。僕はないものねだりをしてるんだなと、ふと気付きました。
そこで調べてみました。現代人らしく、とりあえずググります。
すると「ないものねだりをやめよう」ということを書いた記事がたーくさん出てくるんですよ。だから僕も最初は思いました。「あー、ないものねだりって悪いことなんやなー。」と。
しかしいくつか読んでいくと、違和感を覚えだしました。その違和感を以下に順に書いてきます。
ないものねだりは自然な欲求
ないものねだりって、人が自然に持つ欲求の一つじゃないですか?
「自分にはないから、あんなものが欲しい。」別にふつうのことです。特に子供は「あれ欲しい!これ欲しい!」ってどんどん訴えてくる子がほとんど。僕は子供の行動には、人が最もストレスを抱えない、自然な生き方をするためのコツがあると思っています。
ないものを求め、探していくということは、自分の欲求を満たすための自然な行為。
変に制限すると、逆にストレスがかかってしまいがちです。
諦めて、幸せなの?
しかし検索で出てくるのは、「ないものねだりはやめよう」という記事ばかり。
なんで皆、ないものねだりを”制限”しようとするの?と思うわけです。例えば”「ないものねだり」をやめる 足りないものなんてない“という記事では、
ないものねだりで自らを苦しめる。
自分自身を不幸にしてしまっているのです。
と完全に言い切っている。そして、
ないものねだりをやめる。
不完全であることを認めること。
と書かれています。
え、まじで?違和感が走りました。
これってつまり、「現状に満足しよう。」って言ってるのと変わらないですよね?
信じられない。現状に満足し、無理に追うことをやめる、諦めるのが良いことと唱えられている。でも、でも僕は思います。
「追うことをやめ、現状に満足し、ないものは諦めることで幸せになれるの?」と。
逆でしょ。
諦めて現状に満足してばかりいたら、それこそ幸せじゃないよ。自分の周りに壁を作ってその壁の向こう側は無視し、壁の中だけで生活する、このどこが幸せで満たされた人生なの?
壁に閉じ困って成長しない人生よりも、いつも何かを追い求めて生きていく方が断然幸せやわっ!って本気で思います。
例え最後に達成できなくても、自分の限界を求め、いや、限界を超えてないものを求め続けることは、殻に閉じこもる奴よりはマシです。
現状に満足しないから成長する
現状に満足し、物事をどんどん諦めていくと、そこで成長は止まります。成長しなくなった者に、未来などない。覇気を失った大企業のように、先が見えなくなっていきます。
一方ないものねだり、つまり現状にないものを求めていくことで、どんどん成長することができます。自分にないものをどんどん吸収していき、大きくなることができます。
ないものねだりを否定するということは、この成長をも否定すること。
現状で良いんやで、今が一番なんやで、と。
もしかしたら今日よりも明日の方が良いかもしれないのに、今日が一番良いから今はこれでいいんだ~と悦に入る。
たしかに一時的な幸せは感じられるかもしれませんが、それで明日以降の成長を逃していたら、これほど残念なことはないと思います。
重要なのは、ないものねだりをプラスに考えること
ないものねだりを否定的に見る人には、その良さというか、プラスの部分を自分で活かせられなかったというのがあるのではないでしょうか?
ないものねだりにも良い部分はあります。てか良い部分を見ずに否定されてる気がする。ちょっと懸念があるから否定しとこう…って政治家かよ。
先ほども述べた通り、ないものを求め必死で生きていくということは、十分に楽しいこと。
僕も振り返ってみるとそうです。
彼女が欲しい、ブログで人気になりたい、英語もっと喋れるようになりたい、イギリスの大学に行きたい…。
求めているときは必死でしたが、振り返るとそれらのおかげで充実していて、楽しい時間でもありました。逆に色々もがき苦しみ前に進めていない今は、まだ必死の状態。でも数か月後、数年後には「あーあの時充実してたなー。楽しかったなー。」って思うでしょう。
また、ないものが多いからと工夫することも忘れている人が多い。
ないものが多いから逃げる、ではないんです。立ち向かうんです。工夫して時間を作り、お金をゲットし、どんどんやり遂げてくんです。
工夫は必要に迫られたときに生まれます。なら必要な状態に自分からしていく。逃げて、捨ててばかりいては、工夫が生まれず何も変わらないままです。今、工夫すれば、その後はさらに多くのことが可能になるのに。
ないものを求めてもがき苦しむことも楽しめる。ポジティブに、プラスに考えれば「ないものねだり」を悪いと見ることはなくなるはずです。
さいごに
誤解を避けるため、一つ言っておきます。
ないものねだりを否定している記事が多いと書いてますが、それらの記事が僕の言いたい「ないものねだりをプラスに考えればやめなくてもいいよ。」という主張と、全くの逆というわけではないです。例えば、
大切なのは今あるものをどう使うか。
変えられないものを嘆くのではなく、変えられるものは何かを考える。
と先ほども紹介した”「ないものねだり」をやめる 足りないものなんてない“という記事では書かれている節もあります。
僕はこの部分には賛成で、「確実にできないことをねだる」というのは愚かです。生身の体だけで炎の中で1時間入りながらも生きる、とか無理です。しかし「確実にできないと思い込んでいるもの」は上の「変えられる何か」に属しますよ。
なんとなく言いたいこと伝わったでしょうか?ないものねだりに悩むぐらいなら、それを活かす方法考えた方が良いですよ!
おわりにKANA-BOONの「ないものねだり」という曲どぞ。邦楽から離れてたから知らなかったのですが、有名らしいですね。
以上、わたぽんでした。ほなね!
わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
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