夢を追い求め留学したら、鬱になってしまった時のこと

(数年前に書いたものなので、”今”と書いてあるものは全て数年前のままです。また、鬱と書いていますが、正式な診断を受けたわけではない点をご了承ください。)

バラバラに崩れて、無気力になっていた時期がありました。全てを捨てて日本に帰ろうって、毎日考えていた時期がありました。

 

留学二年目の冬。

これまでの僕の留学生活の中で一番辛かった時です。

 

思えばあれは鬱だったと思います。

 

正直、今まで自分のことを鬱だったってみなしたくもなかったし言いたくもなかったです。

だって、もっと鬱で苦しんでいる人はいるし、今ではかなり健康的になったのだから今更なとも思って。ましてや、専門家でもなんでもないですからね。普段は他人の気持ちがさっぱり分からない理系人間。逆に他人を鬱にさせている側なのかもしれないぐらい。

 

だけど、鬱の中では全然軽い方だとは思うけれど、それでも鬱は鬱。軽いかもしれないものだからこそ、多くの人は軽く見る。誰にでも起こりうる。

 

そしてこれ以上当時の事を書かないでいたら、夢にどんどん近づいている今、この先どんどん美化されていって、しまいには武勇伝みたいになってしまうのだろうなと。そうして居酒屋でビール片手に「あの頃は~」なんて。それは絶対に嫌だと思い、今、書いてみます。この記事の中では、どうやって解決したかとか、書いてないけどね。経緯と当時の感情だけを、そのまま残しておきたいから。

 

今でも毎年冬が来るたびに、当時を思い出して身構えて、冬が終わるとホッとしています。

 

 

鬱になるまでのこと

僕の留学一年目はグダグダでした。

すべてが未完成。それどころか何もできていないんじゃないかって。留学の悪い典型例の一つとして、取り上げてもいいぐらいです。

 

夢を見て日本を飛び出したのが、高校卒業後の18歳の時。このブログでは何度も書いていますが、きっかけはレースカー。F1というレース最高峰の舞台で、僕もF1マシンのデザインをしたいなと思ったのです。

調べてみたら、F1の本場はイギリス。それならイギリスへ行こう。僕の勝負の舞台はイギリスだ…!なんて考えて。

 

しかし実際は、英語は一向に上達せず、肝心の勉学も一年目はほとんど既に高校でやっていたこと。

日本の高校からイギリスの大学へ行くと、進学準備コース(ファウンデーションコース)というのを一年ほどやらなきゃいけない。ファウンデーションコースに行ったことを悪くは思ってないけど、それでも新しい知識が大して増えたというわけでもない。むしろ高校までの時の貯金を使って、浪費していたかもしれない。

イギリス人との関わりはあまりなく、秋の終わりからは部屋に籠ってばかり。寮のフラットメイトとも、2か月話せない時期がありました。

思えば、夢であったF1に向かっているはずだったのに、全くF1に近づいた気がしない。あるいは遠ざかっていたかもしれない。憂鬱な日々。

レースを見ることも少なくなり、目の前のことから逃げては、日本にいた彼女と日本食とまだ行ったことのない国のことを、ぼーっと考えている毎日でした。憧れだった海外で初めての一人暮らしは思ったよりも楽しいものではなかった。少しばかりホームシック。

しまいには冬の乾燥にやられ、右目の周りが炎症にやられ荒れた挙句、二重まぶたは四重ほどになりました。これは今も治ってません。モデルやりたいと思ってたのに、これじゃできひんやん。かゆかった。もう嫌だった。

 

そんな状態で何か見栄えの良いことを書こうと、このブログだけは続けていました。かっこつけたいから。でももちろん、文章もスカスカ。10秒しか淹れていない紅茶を提供しているようなものです。美味しいわけがない。

 

 

でも一年目が終わり、夏を日本で過ごしている内に、少しずつ回復していきました。

日本でおいしい物食べて、会いたい人と日本語でゆるーく話したりして。

だから二年目はちゃんと頑張ろうって、逃げずに向き合おう、挽回しようって。そうして始まったイギリス二年目。

自分で言うと安っぽく聞こえるのですが、かなりストイックな日々を送っていました。

 

一年目はサボりがちだった講義にちゃんと行くようにしたのは当たり前で、朝から夜までの間の空き時間は、全て図書室で勉強していました。一年目は入り込むのが怖くて逃げてしまったFormula Student(僕のブログではお馴染みの、レースカーっぽいものを作って速さや出来栄えを競うサークル)も、分からないなりに頑張ってみた。イギリス人とも仲良くなろうと頑張った。

寝る直前までイギリスのドラマを使って、本気で英語上達しようとした。昼と夜の食事はほぼ毎食サンドイッチにし、朝は決まってフルーツグラノーラとヨーグルト。これでレシピにも悩まなくていい。睡眠はちゃんと7時間半ほど取っていたものの、起きている時間は勉学や課外活動に最大限割り当てた。全ては夢のため。

 

サウサンプトンで最安レベルの家に住んで、親にも最低限の負担しかかけない。おかげで冬は氷室のようなベッドで寝ていたし、毎日シャワールームにナメクジが出た。

でも、頑張るって決めてイギリスへ来た。
我慢しよう。

 

そんなストイックな生活を続けて、迎えた二年目のクリスマス休暇。続けられたのも、夏の内に「クリスマス休暇は日本に数週間だけ帰る」と決めていたから。また家族と話して、彼女と会って、温泉つかって、馴染みのある日本の食を楽しんで。

 

でもなんだか気分が重い。

12月23日に夜の神社境内に突っ立って、考えてた。新年も頑張ろうって。なのにやる気が全く出てこない。今まで自然に出てきていたやる気が、出てこない。

「イギリス戻ったら、元に戻るやろう。」

そうぼーっと考えてた。

連なる鳥居と幻想的な灯籠の明かりを眺めながら、その兆候はすでにあったのかなと。今だからそう言えるけれど。

 

 

1月1日、イギリスへの飛行機に乗る。

そうしてイギリスの寒い家に一人戻ってきた時、僕は壊れてしまいました。

 

 

鬱になってからのこと

元々、鬱なんてならないタイプだと思ってました。

イギリスへ来た当初はクラブに毎週行ってたし、飲み会とか基本好きだし、冗談言ってワイワイしてるの好きだし。高校の時はイベントの生徒実行委員長みたいなのもやるような感じで。夢追って周りは憧れる海外進学。人生楽しいって思ってた。とても精神的に病んでしまうとは思ってなかった。あるいは自分を、コントロールできると思っていました。

 

12月までの3か月の頑張りのおかげで、良いこともあったし、周りの見方が変わってきているのも感じだしていました。大学の勉強にも大きな滞りもなかった。それでも俄然、イギリス人とは仲良くなれていなかった気がするし、関わりも限定的。どちらかというと、面倒くさがられているかもとも感じていました。毎日戦場に行く気分。微妙な時期でした。

 

元日に壊れてしまってからは、講義の内容が頭に全く入ってこない。全ての声が、左から右へまっすぐ突き抜けていく。スクリーンの文字が読めない。Formula Studentを含めた課外活動も億劫になりました。色々な事に対し、「もう続けるのは無理だ」って思っていたし、「なんでこんなに辛い思いしているんやろう」とツイッターを見ながらポツリとつぶやいていた。

 

全部やめちゃえば楽。人生においてひどい思いしてイギリスに留学する必要なんてないし、F1以外にも人生色々やる事あるだろうし。

 

誰に相談していいのか分からなかったし、むしろ相談したくなかったです。

自分のことだから自分で解決しなきゃって。日本の友達には夢叶えてくるからとイギリスへ飛び立って、親には毎年300万円を超える学費を払ってもらって、ブログでも大口叩いて、今更辛いなんて言えるわけないやんって。馬鹿みたいな、強がり、プライド。

あるいは、また負け組になるのが怖かったというか。

 

そうしてもう図書室にもいれなくなって、部屋に閉じこもって毎日宇多田ヒカルの曲を聴いてました。

 

炎の揺らめき 今宵も夢を描く
あなたの筆先 渇いていませんか

COLORS/宇多田ヒカル

 

この歌は恋愛関係の歌のなんだろうっては分かっていたけれど、それでも僕は当時の自分に身を重ね、絶望の中でひっそりと聴いていました。というか、恋愛で当たっていたのかもしれません。第一に僕は、F1という夢に恋していたようなものだし、第二に実際当時の彼女との関係に不穏な空気が漂いだしていたのもこの時期だったし。

 

これからどうしよって毎日毎晩ぼんやりしながら、ウィスキーを飲んだりしていました。そして海底に沈む船のようにベッドに寝転がって、窓から月を眺めたりしていました。サウサンプトン大学の周りは、住宅街や公園で大した街明かりもなく、晴れた日は夜空がとても綺麗なんです。

 

これがもしかしたら、鬱なのかな?

たまに歌に励まされて「やっぱりできる!大丈夫!」ってなった3時間後に無気力になって、バラバラになったまま夜を迎える。その繰り返し。

それでも当時はずっと鬱だと信じたくなかった。「鬱かもしれない」とは思っていても、「多分やる気がないんや、やる気だすぞー…でもどうやって…」という表現の方が近かったかもしれない。ネットの簡易鬱診断テストで「中度」とか「重度」なんて出ても、「まじかよ、あはは。…。」で、どうしよう?

 

このままでいても、毎年300万円の学費と、さらに生活費もかかる。そう考えると、余計に嫌気が差しました。

留学は楽しい?
夢を追うことは素敵だ?

最悪やん。もうやだ。

そんなことばかり一人考えてた、お正月明けのある曇りの日々。

 

 

わたぽんのまとめ的なにか

ここからは記事をアップした日に付け足した言葉。

冒頭で「今書きます」って言ったけど、結局表に出す気になりきれず、何年か過ぎちゃいました。

これを書いた時でさえ、今更書くのもなと思ってましたけど、当時の事をそのまま綴るように努力しました。史実を忠実に紐解いていく歴史家のように。

正直、今でもこの頃の記憶が消えたわけじゃない。ずっとジェットコースターのような人生を送っていきたいけど、また精神的に壊れてしまうのが怖かったりする。さーて、どうしようか。

どうやってその後過ごしたかとか、僕のした解決法とか、その辺はいつか別記事にするかと思います。でも鬱になった時の感情は、そのままで残しておきたかった。だから今回はここで終わり。

以上、わたぽんでした。ほなね!



わたぽんの簡単な自己紹介

わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら

ブログ「わたぽんWorld」について

僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!

Related post

Comment

    • Miko
    • February 25th, 2019

    最近の留学って1年で300万円+生活費、というものすごい金額かかるんですね。。。。私の場合は美容学校でしたが、1年間で学費34万円、生活費は持ってきた貯金80万円でした(笑)。私の場合は親には一切頼れなかったので、授業が終わってからは寿司屋さんでバイトして、それで石鹸や歯ブラシを買ったり、映画を見に行く時の娯楽費に当ててましたが、貧乏でしたね〜。今では懐かしいですが、当時は辛くて不安でいっぱいでした。最近の留学費用の高さにビックリです。ご両親は本当にわたぽんさんの人生を精一杯応援してくださっているんですね。ありがたいことです。ご両親を大事にして差し上げてください。私は去年両親を亡くしましたので、親孝行したくてももうできなくて。孝行したくてもできないことが鬱の原因になっています(笑)

    • Mikoさん、
      行く国や大学にもよりますが、僕の場合はそうです…。学費34万円と聞くと安く聞こえちゃいます。でもその時代には、その時代の苦労があったのかなと思います。
      お言葉ありがとうございます。本当に両親には頭が上がらないです。でも例え誰かがいなくなったとしても、その人たちの想いは永遠に消えないはずです。Mikoさんも大変かとは思いますが、これからも前を向いて一歩ずつ、同じ地球の上で歩みを進めていきましょう…!

  1. No trackbacks yet.

プロフィール

わたぽん(@wataponf1_uk)

高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでの1年インターンも獲得。現在は卒業し、日本でF1から離れ生活中。 詳しいプロフィールはこちら


Twitter Facebook note

おすすめ記事

アーカイブ

Return Top