留学中鬱になっても、夢を追い続けると決めた理由
以前、夢を追っていたら鬱になった時のことを書きました。
でも実際、僕はその後も夢を追っていたし、最終的には夢であったF1チームでインターンも獲得し、1年間働いていました。
なぜ鬱になりながらも続けたのか?
あるいは、続けることができたのか?
僕の場合、それは自分の中で絶対に戻りたくない自分があったからです。
何もできなかった自分
鬱になってしばらく、目の前のことに手がつかなかったから、よく過去のことを振り返っていました。
3歳に海でおぼれた初めての記憶から、直近の記憶まで全て。それをWordに書いたり書かなかったりして、自分史のようなものを作っていました。
鬱の時は新しいことをするのは手が向けられなかったけれど、既に起こった過去のことを振り返ることは比較的できました。不思議と。
その中で、自分の過去で嫌いな時期があることを見つけます。
中学時代。
挑戦することを怖がって、何かうまくいかなければいつも言い訳して、他人のせいにして、自分は逃げて。
中学の時に周りに褒められたのは、物持ちの良さと言い訳のうまさだけでした。
そうして出来上がった中学三年の自分は、自分が小学生の頃に夢描いていた姿からはかけ離れていました。このままじゃ本当にダメになってしまう。人生面白いはずなのに、自分で全てダメにしてしまっていた感覚。
周りとの関係もうまくいかず、いじめられてはいなかったけど、無視されてました。僕はクラスで一番気体に近い存在だった。
辛かったし、この先何すればいいんやろうって真っ暗な未来を見ていた学校からの帰り道。そんな記憶が、ありありと蘇る。
高校に入ったら自分を変えよう。
変わらなきゃ。
とりあえず、勉強するか? 今すぐは役に立たなくても、大学や就職で役に立つはず…。後で周りをあっと見返してやる…。
そんなことも思っていたような。
空約束をして、中学生活を終えました。
F1が僕の全てを変えた
そんな暗い毎日の中でたまたま出会ったのが、F1でした。
夜歯を磨いている時に眺めていたテレビで、放送されていたF1スペインGP。その夜から、僕はF1を毎レース観るようになりました。
地元観客の期待に華麗なドライビングで応えるドライバー。
頭の良い人達が、本気でレースで勝とうと考えている姿。
レースという一見遊びなことに、本気になってる姿。
そこに世界が熱中している姿。
誰かが、F1が面白い理由を「能力総動員だから」と話してました。僕は有無をも言わせないF1の本気の世界に興奮し、自分は如何に情けのないことをほざいて生きてきたのかとあえぎ、F1にハマりました。
F1を見始めたことを分岐点に、僕の生活は大きく変わります。
好きなことに好きと言い、まるで自分も勝利を目指すF1チームかのように、行動するようになりました。
中高一緒だった人も、「変わったよね」って言ってくれてた。
しばらくF1のレースとニュースを追う生活を続けていくと、F1にもエンジニアという、マシンを設計する仕事があることを知りました。
これや…。
自分が探し求めていたもの。この仕事がしたい。絶対にしたい!!
そう思って調べ始め、行きついたのがイギリスへの大学進学。調べながら感じてきた。いける。これならF1にたどり着ける。
しかしそこへ、過去の自分がささやいてきます。
どうせ途中で嫌になってやめるんやろ?
うまくいかなけりゃ、また他人のせいにするんやろ?
うるさい…。違うもん。今回は違うもん。。。そう過去の自分を追い払い、何が何でも夢にたどり着いてやると心に決めました。
そうして追い始めた、F1という夢。
それまで何もせず周りを馬鹿にすることが多かったのですが、今度は自分が挑戦する側になった。今まで馬鹿にしてきた自分を恥じつつも、少しずつ自分も、かつての馬鹿にされる側になっていきました。
好きなことに好きと言っていくのは、最高に気持ちよかったです。
自分のしたいことをしていくのは、この上ない幸せでした。
躓きつつも一歩一歩前に進んで行き、結果を残していくことは楽しかったです。
気付けば、自分のことが好きになっていました。
僕はF1という夢を目指している自分が大好きだった。
なのに…なのになんで…。
鬱になって、泣きました。
F1をやめたらダメだという感覚
それまでは辛いことがあっても、努力でなんとかなると思いやってきました。でも今回はそうもいかなさそう。鬱になって、努力じゃなんともならない感覚がありました。たしかに自分は物理がずっと得意でなかったし、そろそろ潮時なのかもしれない。
挑戦はしたもんね。
イギリスまで来たもんね。
頑張った、えらいえらい。
ブログもやってたから、ブロガーとしてひとまず生きていくことはできるんじゃないか。プログラミングとかちゃんとやれば、また新しく何かを目指せるんじゃないか。うん、他にも幸せになる道はあるよね。F1にこだわる必要ある? ほら、「見てるだけの方が楽しいこと」ってあるやん?
無理に夢を追ってる必要はないやん?
イギリスの大学に行ってる必要はないやん?
いいやん、それで?
F1なんて追うのやめて、日本帰ろーよ。
そうなりかけた時、自分の中で何かが引っかかる感覚がありました。小さな魚の骨が歯間に挟まっている感覚。
F1を初めて見た頃の感覚がフラッシュバックしてきます。
高校一年生の時、F1を知った驚きと興奮と、そして何かに救われたかもしれないという喜び。
カラオケで順番待ちの間、友達に「小林可夢偉ってドライバーがめっちゃ速いねん!!」とか言って「はいはい」と流されてたこと。
でもなんだか、それでも嬉しかった自分。
自分が初めて、自分らしく生きられているような、過去の自分を振り払えたような、そんな感覚。
「そうや、何か今までに感じたことのないものを、F1からは感じることができたんや…。」
だからずっと、F1を目指してきた。
鬱当時は本当に、ただ「F1をやめたらダメだという感覚」程度にしか捉えられていなかったのですが、なぜそんな感覚があったのかは今だからもっとハッキリしています。
きっとあの時諦めていたら、僕は精神的に死んでしまっていたでしょう。身体的に生きていたとしても。
F1をやめて他のことをするというのは、たしかに理にかなってはいました。無理にイギリスにいる必要もありません。
でも、もしF1をやめたら僕は「永遠なる人生の敗者」と自分を捉えざるをえませんでした。夢を叶えられない人間。F1″でさえ”手が届かない。なのに他に何かできるようになる可能性があったとしても、自分の中で可能性を感じられない。あれだけ可能性を感じ、自分にもできると信じたF1での仕事に手が届かなかったら、もう他の何を夢見たって、それはただの幻想としか捉えられなくなる。
それを、「精神的に死んでしまう」と僕は言います。
もしF1をやめてしまったら、もう全ての自分の感覚を否定しなきゃいけない…そう感じました。そして戻るのは、結局逃げて何も成し遂げることのできない中学の頃の自分。
あの頃に戻るしかないの?
それは…それだけは嫌や…。
自分の精神を死なせないために。
過去の嫌いな自分に戻らないために。
自分の中で負の理由を明確にできたことは大きかったです。
それまではF1に行きたいと言いつつも、どこかでたどり着けなくてもちゃんとそれなりに頑張ったらいいかって思っていました。
でもそれが、F1に行かなければならない、なんとしても。という心持になりました。行きたいか行きたくないかじゃなくて、行かなきゃならない、F1に。
振り返ると、当初の気持ちをアップデートすることができたとも言えます。
もちろん当時は、毎日生き延びることに必死で、大それたプラン等なかったのですが。
F1を追い続けると決断した当時の自分には、本当に感謝しています。そうでなきゃ、今自分が精神的に死んでいる姿だってありえたのですから。他の誰かにおすすめする道ではありませんが、僕にとってはこれしかない道。
多分、これがF1を目指してきて一番重要だった時でした。
その後は決めたのだから、なんとか努力に頼らずに鬱を脱することを試みました。無理をせず。一歩ずつ外の世界に慣れていく。辛かったらすぐ部屋に戻っていいから。
幸い、一学期の頑張りと成績のおかげで、切羽詰まって勉強やFormula Student活動もする必要はありませんでした。おかげで春にかけてリハビリに費やすことができ、その後Formula StudentでHead of Aerodynamicsになれたことをきっかけに夢が現実的になっていったのでした。
以上、わたぽんでした。ほなね!
わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
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