夢だったことをもう追わないのが、辛くないわけがない
こんにちは、わたぽんです。
ずっと夢だったF1をもう追わないことについて、以前書きました。
でも強がってしまったかなって、ちょっと反省しています。Facebookでも投稿したけど、うーん、やっぱりちょっと強がってたしまったような。
F1を追い求めることで探していた何かが見つかった。だからやめる。うん、かっこよく聞こえる。でもね、そうじゃない。それだけじゃないなって。
実際の僕はまだまだ弱くて逃げたくてしょうがない要素があります。それをさらけ出し、受け入れないことには前には進めない。
ずっと追ってきた夢をもう追わないことが、辛くないわけがないやん。
夢をもう追わないと決め切れなかった秋のこと
なんだか全てがスムーズに繋がってるように聞こえる。
ブログってのは面白いもので、どんなに長い時間をかけて考えたことでも、たった数千字でまとまった考えを書いてしまうと、とんとん拍子で決まっていったように読むことができます。
前回書いた記事も、そうかもしれないなと。
実際は、そんなにスムーズじゃなくても。
F1行くのやめようって最初に思った夏のある日、正直言ってかなり驚きました。何考えてんねや自分って。でもなんだかスッキリした感じがしたし、別にネガティブな理由ばかりじゃなかったし、うん、正しい感覚かもしれないなと。
でも9月に新学期でイギリスに帰ってきた時、色々な想いが込み上げてきた。ずっと夢に向かって進み続けてきたこの土地。夢を叶えるためだけにやってきたこの大学。
F1はもういいや~って、気楽に考えようと思ってたのに、そう捉えられなかったです。
もうF1を追わなくていいんやで。
自分の中で答えが出たんでしょ?
そう考えると、自然に涙が流れてきました。もう終わりなんだって。全て終わったんだって。
そしてもう、僕の中では一切の価値が燃えつくされたように感じました。
もう、夢を追っていない。
そんな自分、7年ぶり。
なんだか、何もないような感じがしました。全てをやりつくしてしまった気がした。
そんな中でも大学を1年後には卒業する。F1が自分から抜けて、大学院へ高いお金払って行く意義も見えなくなった。そうや、働かなきゃ。
残ったのは、高額なイギリスの学費。
いくら親に出してもらってたと言っても、それは親が必死で働いたお金を「息子の夢のために」投資していただいてたもの。僕はそう捉えてる。しかし僕は、その期待に背こうとしている。恩を仇で返そうとしている。そんな自分が嫌だ。ちゃんと借りた分は、返さなきゃ。
そうして始めた就職活動。妙に珍しい経歴をぶら下げた自分が出てきて。でもそれは今の自分ではなくて、過去の自分が作っただけで。今の自分はもう空っぽで。そう思うと自分が分離してしまったかのように感じて。情けなくなって。
たまたま会った人に少し話してみると、「海外でも探してみたら?」なんて言ってくれる。でもね、今の自分にはもう無理なんだ。そうとしか考えられなかった。海外で勇ましく生きているのは過去の自分で、今の自分は違う。でしょ? ただ幸せになりたい。辛い思いしたくない。そう思ってた。
悶々と考えてたら何が正しくてどれが本心か分からなくなったから、Twitterで鍵垢作って、F1行かないつもりだと打ち明けた。数少ない友人や先輩にフォローしていただいた。どうしようもない個人の呟きを見てもらって、それでなんとか気を保ってた。
一度鬱になったことで、抱え込めばいいってものじゃないのが分かってたし。彼/彼女らには本当に感謝しています。
正直、これ以上傷つくのが怖かった
F1へ行くつもりがないという理由が、本当に次への挑戦とか、自分の得意が分かったとか、それだけだったらなんて素敵なんだろうって思います。
ただ、そうじゃなかった。
正直、めちゃくちゃ怖かった。
F1チームで一年インターンして、周りからF1チームで就職するのが既定路線のように見られていること。
学部卒業で行くのか?
あ、それともやっぱりマスター行ってから?
イギリスでは周りにそんな質問ばかりされてた。F1へ行きたいな~って夢を言い合ってた世界が、少し変わってた。「F1へ行くんでしょ? で、いつになるの? どのチーム?」時間と選択の問題に変換。働けるかどうかなんて確証さえないのに。
もし自分のやってきたことに本当に自信があるなら、なんの心配もしなくてよかったと思います。それが僕の場合、心配なことだらけでした。むしろ、インターン中うまくやれてた気がしなかった。自分はF1には向いてないって、上司にジャッジされてるんじゃないかって。
いや、もしかしたらF1でも大丈夫だと判断されてるかもしれない。だとすると、後はタイミングの問題だって。突然そう考えたりもする。うーん、分からない。
まあ、インターン中からずっとそんな感じでやってきてました。
ただ周りの期待値に対して、自分の実力値が伴っている気がしてませんでした。
もし卒業後、F1へ行けなかったら?
インターンしたのに行けなかったら?
あ、つまり僕はF1には向いてないって証明されることになるの?
F1には向いてないってジャッジされる。それが怖くて怖くてオドオドしてました。でも、もし今自分からF1への道をやめますと言えば、インターンの経歴を引っさげて、傷つくのを未然に防げるかもしれない。十分やってきたもんね。見つけたかったものも、見つかったしね。もういいやんね。
そんな考えも、なくはなかったです。
結局僕は、自分の弱さに負けたのか?
F1に対して、これ以上努力をする気になれなかった
もしやる気さえみなぎっていれば、頑張る理由があれば、それでもなんとしてでもF1を目指していたと思う。それがなくなったのが、一番大きかったかもしれません。
自分の中で自分が知りたかった答え、自分の得意。自分に何かできるかもって感覚、自己肯定感。
それらが自分の中で分かって、ああ、もうF1に拘る必要がないって思ってしまった。そんな中、F1のためにこれ以上血のにじむような努力を積み上げる気になれませんでした。もう無理だって。
悲しかったよね。
自分がF1エンジニアとして生きていくために、もう努力する気になれなかったのが。一度はあんなにも憧れたことに、情熱を見いだせないことが。
努力を積み重ねるには、自分の中に何か溜まるものがなければいけない。絶対に諦めてはならないという、最後の砦みたいなものがないと続かない。その砦が、もはやなくなっていた。そんな感じ。
これが潮時やなーって感じた。
悲しかった。
F1を見て喜んでた自分が脳裏をよぎる。やっと自分にも人生かけてやりたいことが見つかったって、はしゃいでた高校生の自分。彼はどこに行ったの?
そして僕は結局、また振り出しに戻る
一度惚れたものをずっと追いかけて、たどり着いて楽しんで、人生幸せに終わりましたって言えるようなストーリーにならなかった。
F1に行ったら、満足できる、幸せになれる。
そう信じてやってきたのに、数か月もしたら全然満足感なんてなかった。むしろ一人が辛かった。むしろ悔しかった。幸せに満ち溢れはしなかった。幸せな時はあっても、悲しさの方が大きかった。もうこれ以上頑張れないかもしれないという、悲しさ。僕は何かに立ち向かって必死に頑張ってる自分が好きで、インターンをして妙に満足した自分が大っ嫌いでした。
学んだことがあるとすれば、自分のために目標を達成したところで、残るのは無ということでしょうか。一人で追う夢なんてちっぽけに感じた。みんなとワイワイしてた頃を懐かしく感じた。
そしてあーだこーだと言って、結局は「F1エンジニアになる」という目標を、真に叶えることなく道を降りる。なんやそれ。結果だけ見たら、今までと同じ。目標達成できませんでしたー。
周りがなんと言おうと、慰めの言葉をかけてくれようと、褒めてくれようと、自分がどうかっこいい言葉を紡ごうと、結果は結果。僕は夢に届かなかった。
そしてまた、振り出しに戻る。
何度負けても間違っても
夢は終わりじゃない何度変わってもたった一度の
諦めに崩れていく蒼く優しく – コブクロ
僕はたった一度の諦めで、7年間の道のりを捨てたとも言える。馬鹿だ。哀れだ。いや滑稽だ。
そんな面もありまする。
わたぽんのまとめ的なにか
僕はどうなるのかな。
正直自分にも分からない。
ただこの辛さを認めないことには先に進めない。
自分には正直でありたい。
ずっと言い聞かせてきたこと。
今こそ自分に、正直になろうよ。
以上、わたぽんでした。ほなね!
わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
Comment
No trackbacks yet.
わたぽんさんは車の運転なさると思うので体験があると思いますが、『Dream』というのは、「どこかへドライブしたい」という動機。『Goal』というのはそこへたどり着くにはどの道を通り、いついつまでにどこへ到着する、というタイムテーブル。でも本当に重要なのは、そこへたどり着くまでに見るもの、聞くもの、道行く先での人との出会いと体験。どこそこへ行こう、と車を走らせてみたけれど、道中で方向が変わることはよくあることです。大事なのはそこへ着くまでの体験をいかに人生の中で生かしていくか、だと思います。
私は19歳の時にカナダのトロントへ、オーペアの仕事をしに行きました。まだ子供だったので、漠然と「英語を話せる環境で英語を学びたい」ということだけでした(笑)。 ただ寒くて暗い環境が合わなくて、泣いてばかりで、今考えれば鬱に入りかけ、って感じでした。そして日本へ帰って、そこでとにかくお金を貯めよう、そうすればしたいことが見つかった時に動ける資金があるだろうから、ととにかくバイトで稼ぎまくりました(笑)。そうこうしているうちに、読んでいた本からふと、『ピースコープに参加してお役にたちたい』という夢が湧いてきたのです。 でも高校しか卒業していない私には参加資格がなくて、もう一つのの参加条件が『テクニカルの学校の卒業資格と、その後数年の経験』だったのです。なので、美容師の母を見て育ったので、『じゃあ美容学校へ行こう〜』って。ついでに英語の勉強もしたいし、ということでカリフォルニアの美容学校へ行った、というわけです。卒業したらすぐ日本へ帰るつもりでいたのですが、卒業した日にビバリーヒルスにある美容室からアシスタントの仕事のオファーをいただいたのです。そのこと育ててくれた祖母が亡くなり、急いで日本へ帰る必要も無くなったので、仕事のオファーをお受けしたのです。あれから32年経ちますが、もちは外れたものの、「この人生でよかったなあ』って思ってます。
人生、って不思議なもので、何かが背中を押してくれるんですよ。なので、その流れに身を任せて行ってみるのも結構悪くない結果が出るものですよ。どの道を行っても、結果はその人にとってあるべき人生になると思います。私は美容師なので、この仕事を通して何万人という人に出会ってきました。皆さん全く違うバックグラウンドで、全く違う言葉を喋り、違う学歴を持って生きていますが、どの方に聞いても、『こういう人生になるべきだったんだな、って思う。これで十分満足している』って言ってます。
わたぽんさんも今はご自分の決めた進路にご自分でちょっとショックを受けているような感覚かもしれませんが、この7年間一生懸命に夢に力を注いだことは決して無駄にはなりませんから、また次に心が踊るような夢と目標が浮かんだ時に行動できるように、お金は貯めておきましょう(笑)そのために『仕事』をしに日本へ帰るのも悪くないと思いますよ! 長い人生の中に『夢』は何度も現れます。それを掴むかどうかで人生の方向が変わっていくだけです。でもそれも人生ですから、全然オッケ〜です。
応援しています。
Mikoさん、
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます!
DreamとDrive、良いですね。「どこかへドライブしたい」という気持ち。時々不安になるとこの気持ちを忘れてしまうのですが、これこそが抱いておきたい気持ちですよね。覚えておきます。そして「どこにドライブしたいのかな~」とワクワクしてみます!
同時に、Mikoさんの最も伝えたかったであろうこと、何をやっても学んだことが将来に活きる。点と点の繋がりが今は見えないけれど、おっしゃる通り、きっと何か繋がっていくんだろうって思います。ちょっとばかし、こちらも期待してみます^^
Mikoさんのお話は豊富な経験から来ていて、いつもとても納得感があります。
人生の中に「夢」は何度も現れる…今は次の機会を逃さないように、楽しみに、今できることに集中します。
ありがとうございます。
元気をいただきました! Mikoさんも、良い日々をお過ごしください!
人種差別がなぜ起こるのかをネットで調べていたら、上の記事を目にして読ませて頂きました。
上記の記事のように「自分に正直になれる」というのは非常に素晴らしいと思いました。
読んで非常に感動しました。
ありがとうございます!
わたぽんさんが就職後もいろんな経験をされて、今後御活躍されることを願っています!
「F1をやめるという選択肢を選んでよかった」といつか将来言えるようにしたいですね。
よしとしさん、コメントありがとうございます!
お言葉とても嬉しく思います。元気をいただきました。自分で選んだ選択肢を、誇れるようにしないとですね!