同じ過ちを繰り返さないための過去の振り返り方は、今の幸せをも提供しうる
こんにちは、わたぽんです。
僕はよく過去のことを思い出します。
もしあの時こうしてたら……と考えたり、あの頃は楽しかったよなと振り返ったり。後悔のようなことばかりじゃなくて、自分のしてきたことを振り返って、ちょっと満足気になってみたり。
でも過去を見すぎるってもちろんあまり良くない事だとは分かってるから、よーし今や今、今が一番大事って、いつも頑張って戻ってくるんですけど。でもどうも頻繁に過去に足を伸ばしてしまう。時々足を踏み入れすぎてしまう。道路わきの溝に落っこちてしまう。もっとうまいことできたんじゃないかと悔やんだり、いやいや過去から学ばなきゃって切り替えようとしたり。
毎日は過去との戦いでもあります。
だから森見登美彦氏の小説『四畳半神話大系』を読み終わった時、僕は清々しい気持ちでいました。「そうか、自分はどうしたって、結局は今のような状態に落ち着いているんや」と思うことが出来て。どういう意味か?
「可能性と言う言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
これだけだと少し分かりにくいので、もう少し引用を加えると、
「我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何物にもなれない自分を認めなくてはいけない。
これは過去の選択を悔やむ主人公に向けられた言葉。
自分がどの選択をしたって、結局は似たような今の自分に落ち着く。自分の可能性なんかに期待するから、辛くなる。まずは他の誰もがどうあがいたってなれない、今の自分を受け入れようと。おおっ、これぞ神の言葉。この考え方を実践できれば僕ももっと幸せを感じられる。自分に満足できるかも。どこかにメモっとかなきゃと、実はこっそりnoteに書いていました。
一件落着。
スッキリした気分で、スターバックスコーヒーを出ました。レジには今日もかわいい店員さんいたし、良い一日や!
しかしだんだんと、モヤモヤが増えてきました。頭の中の雲行きが怪しくなってきたのです。
「それってつまり、過去を捨てろってこと……?」
過去は考えるだけ無駄なのか?
自分がどんな選択したって、今の自分になるって、それってちょっと無茶苦茶じゃない? なんかおかしくない? だって、人は今までの選択の結果今の自分になっているんだし、実際今までの選択を見直すことは悪いことじゃないんじゃないの? 不可能性を受け入れて色々諦めて本当に幸せになれるの?
四畳半神話大系に出てくる言葉にそう反応した僕は、あるいは阿保なだけでした。
考察が甘かった。
四畳半神話大系で描かれていたのは、主人公が大学入学時にどのサークルを選ぶかによって分かれた、彼の大学生活のその後。果たして、主人公は”薔薇色のキャンパスライフ”を送ることができるのか。そのことについて永遠と描かれている。しかし第二編で主人公の師匠に言われたこと、それが冒頭に挙げた、
「可能性と言う言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
から始まる一連の言葉でした。
しかしこの言葉をそのまま受け取ってはいけないのでした。
自分の不可能性が意味するもの、それは、
「自分の今の状態を他の何かや誰かのせいにしている限り、どんな選択をしたって同じ結果に終わる」
だったのだと思います。師匠は何も、「選択が人生を変えることはない」と、真っ向から否定したかったのではないと。もし他の何かや誰かのせいにせず、自分の内側の何かを変えることによってその後の選択が変わるのであれば、それは全く違う結果をもたらしえるんじゃないか。多分、そういうことだと思う。僕にも思い当たる節がある。自分の全てを不可能性によってまとめてしまっては、ただの諦めになる。しかし他人のせいにして自分のあり得るべき可能性を嘆くのは、ただただ悲しいだけであると。
過去から何を学ぶべきか?
ここで僕はまた、モヤモヤしました。水平線上に、モクモクと入道雲がたかーく上ってきています。
「他人のせいにするのをやめたらいいってのは分かった。でも、自分を変えるって言ったって、それもやっぱり自分の可能性について考えてることになるやん? 本当にそれで幸せになれるのかな?」
だって僕は、自分の可能性ばかりを信じて、これまで生きてきました。自分にはできる、できないわけがない。そう言い聞かせて、何度も何度も見えない壁に体当たりして、血まみれになって、突き進む生き方。それが僕でした。
もし、その可能性を捨てることによって幸せになれるのだと言うのなら、僕の今まではなんだったのか。たしかに、幸せですか? と尋ねられれば、ちょっと渋い顔をしてしまうのは事実です。どちらかと言うと幸せやけど、全てのことに対して幸せを感じているかというと、そうではない。つまり、自分の可能性を信じているから、そこに悩みを抱えてしまっている。そんな状態。それは確か。
やっぱり自分の可能性なんて捨てた方が良いんかな……。
実は、未来に対しては今も答えが出ていません。不可能性を受け入れることによって確かに幸せになれるかもしれないけれど、同時に可能性を捨てることは僕にとってあまりにも辛いことです。
ただ、過去への認識に限った話であれば……。
もしかしたら、不可能性を受け入れ、どうせ自分はこうなった、と考えるのは悪くないのかもしれない。うん、ありえる。でもそう信じきれない。
そう考えてたところに、思いもよらぬ方向から科学的データが届きました。
朝、ホテルのバイキング会場に入った時です。
普通ならすぐ案内してもらえることが多いけれど、三連休の真ん中の日、レストランはちょっと混んでました。少し待機。新聞があったので手に取る。過去にほとんど読んだことのない毎日新聞。その一面にあった余禄(天声人語のようなもの)の冒頭が、僕をバットでぶんなぐりました。
「過去から学べない者は、過ちを繰り返す」ーー。米国の哲学者、ジョージ・サンタヤーナの言葉だが、……
おおおおお、せやせや。激しく同意を示します。やっぱり哲学者は分かってたんやん。やっぱ過去を振り返ることは大切やんな、過去から可能性を模索して次に活かすのは大切やんなって。
でも読み進めると、どうもこの余禄の筆者が伝えたかったことは違ったようです。むしろ過去から学べていないのが人間であって、我らはどうしようもない、とでも言いたそうな。
続けて紹介されていたのは、アメリカのケリー・ホーズ博士の研究。
その研究について細かく書くとタイピングするだけで腱鞘炎になりそうなので、あっさりかるーくまとめると、
「失敗を繰り返さないためには、失敗を回避したという成功体験を少ない件数振り返ることが最も効果的である」というものでした。その振り返る成功体験が多すぎてもだめで、逆に失敗したという事実を振り返ると、気分が落ちて結局また同じ過ちを繰り返してしまう。その失敗とはあくまで”買いすぎ”という消費行動に関してであったけれど、この結果は目からうろこ。「失敗から学べ」よりも「成功から学べ」なのです。
これでやーっとスッキリしたような気がします。
わたぽんのまとめ的なにか
自分の過去に対し、失敗を通して自分の可能性について考えるのは、実は今後に対しても良い影響を与えない可能性がある。つまり今の自分になるべくしてなったという不可能性を受け入れる。自己承認をすることで、幸福度が上がる。しかし今後同じ失敗を繰り返さないためにも、過去を振り返る行動自体は悪くない。ただし、
- 成功体験を数個振り返る
- どうしても失敗も振り返るなら、他人や物のせいにしない、自分が悪いと考える
ことが大切。
成功体験を振り返るのであれば、過去に想いを巡らすのも悪くはないかもしれない。ある意味、自分の不可能性は成功の積み重ねによって成り立ったとも言える。でもやっぱり過去に足を踏み入れすぎては元も子もない。どうせなら、未来へ活かす振り返り方をしよう!
そうホテルのスクランブルエッグをスプーンですくいながら思ったのでした。
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わたぽんの簡単な自己紹介
わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら
ブログ「わたぽんWorld」について
僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!
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