【映画にもなる!】命のビザを与えた杉原千畝、その功績とリトアニアにある杉原千畝記念館の様子を紹介します

バルト三国の一つ、リトアニア。日本ではそれほど有名ではないこの国で、一人の日本人外交官が約6000人の命を助けました。

杉原千畝。「日本のシンドラー」とも呼ばれる彼は、日本の外交官であり、第二次世界大戦前から活動していた諜報員でもあります。杉原千畝はナチス・ドイツの虐殺から逃れようとするユダヤ人約6000人に日本の通過ビザを与え、救ったのでした。

2015年冬には映画にもなるこの杉原千畝の行為についてと共に、実際にリトアニアのカウナスにある、”Sugihara House(杉原千畝記念館)”に行ってきたときのことを紹介します。

 

杉原千畝の功績

「日本のシンドラー」と聞いてもピンとこないかもしれません。シンドラーとは、第二次世界大戦時にドイツでのユダヤ人を大量虐殺から守るために、自身の工場でユダヤ人を雇うことで彼らがアウシュビッツのような強制収容所に送られることを阻止した人です。杉原千畝が「日本のシンドラー」と呼ばれるのは、彼も同じようにナチス・ドイツからユダヤ人を救った人だからです。

杉原千畝は第二次世界大戦の頃の日本の外交官であり、諜報員。外交官としての仕事と共に、不安定な情勢の中、ソ連の動向を中心に情報を集め、世の中の動向を検知するインテリジェンス業務もしていました。

杉原千畝がリトアニアに赴任していたのは、リトアニアが当時ドイツとソ連に挟まれていて、情報収集・諜報活動に適した場所だったからです。

1940年、旧ソ連がリトアニアを占領しだしていた頃、リトアニアにはポーランド方面からたくさんのユダヤ人が、ナチス・ドイツの影響から逃れるために逃げてきていました。

彼らユダヤ人がナチス・ドイツの手から逃げ続けるためには、どこか遠いところへ行かなければいけません。そこでソ連、日本を経由して逃げようとしました。というかそれしか当時は逃げる方法が残されていなかった。

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杉原千畝はユダヤ人が日本の通過ビザを求めてやってきているのを見て、日本政府に連絡。しかし政府は当時、ドイツとは同盟国であったため、ユダヤ人にビザを与えて逃がす=ドイツを裏切ることになりかねない行為と考え、亡命ユダヤ人にビザの発給を拒否。しかし杉原千畝は自分の決断で、亡命ユダヤ人達に出せるだけのビザを発給し、彼らをナチス・ドイツの迫害から救いました。その数、約6000人。わずか3週間の間に2139通のビザを発行しました。当時はビザ発給が手書きだったことなどを考えると、その数は膨大。

当時のビザのことについて、もう少し細かく説明します。

 

日本のビザが、ユダヤ人の亡命には必要だった

リトアニアは1940年頃、勢力を拡大するドイツと、ソ連の間に位置する国でした。

ナチス・ドイツは歴史でも習った通り、ユダヤ人を迫害、虐殺していました。それを受けて、ユダヤ人はドイツから逃げるように、東、つまりソ連の方向へと逃げていきました。そのたどり着いた先の一つがリトアニアでした。

ユダヤ人がナチス・ドイツから逃げるためには、リトアニアへとどまっていてはいけません。当時のドイツは勢力拡大中で、後にリトアニアにもナチス・ドイツの手が及ぶことは明らかでした。そこでユダヤ人達は、もっと遠いところへと逃げようとします。しかしどこへ行けばいいのでしょうか?

当時ユダヤ人が逃げるのには、一つしか方法がありませんでした。それは、リトアニアからシベリア鉄道を介してソ連を横断し、そこから日本へ渡り、さらに日本から他の場所へという大移動。ソ連はリトアニアをほぼ占領中、日本は日本を介して他の場所へ行くための通過ビザなら取れるかもしれない!という状況。

まずはユダヤ人達は、日本の通過ビザをゲットするために、最終目的地へのビザを取得しなければいけませんでした。その最終目的地には、オランダ政府が救いの手を差し伸べ、当時オランダ領だった中米の人が住めないような島、キュラソー島へ行っていいよというビザを発行します。実際にユダヤ人達はキュラソー島へは行かない、というか行けないのですが、最終目的地証明という形は満たしたので、日本の通過ビザを取得できる形となりました。

そこで登場するのが杉原千畝。リトアニアで外交官として、訪れてくる亡命ユダヤ人達に、政府の意向に反して日本の通過ビザを渡していきました。そしてそれを手にしたユダヤ人達はソ連を横断して日本へたどり着き、神戸港などから当時ユダヤ人が渡航できた国へと移動して助かったということです。

 

リトアニアには杉原千畝の記念館がある

杉原千畝が外交官として住んでいたのは、リトアニアのカウナスという街。1940年当時の首都機能があった街で、今ではリトアニア第二の都市として栄えています。

カウナスには、日本領事館跡に杉原千畝の記念館である、”Sugihara House”があります。

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“Sugihara House”は街やカウナスの鉄道駅からは少し離れていますが、徒歩で行ける範囲。かなり閑静な住宅街に混じって存在しているので、見つけるのが難しかったです。僕は迷った末、地元の人に助けてもらいたどり着きました。行く際はしっかり場所を確認して行きましょう。

Sugihara Houseでは、杉原千畝のビザ発給に関することの他、当時のユダヤ人のおかれた状況、ビザ発給を巡る様々な情報が、当時の様子を再現した展示物や実物と共に紹介されています。

まずSugihara Houseに訪れると、杉原千畝に関する約15分のビデオを案内されます。Sugihara Houseでは現地の方が管理されていましたが、夏休みには早稲田大学の生徒もお手伝いに来るそうです。

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ビデオ終了後は当時を伝える展示を自由に見て回ることができます。小さい建物ですが、そこには多くの情報が詰め込まれています。第二次世界大戦後しばらくは、杉原千畝については政府側も隠していましたが、今では多くのことがあきらかにされています。

こちらは杉原千畝のデスク。

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日本全国からも、多くの人がやってきています。

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京都はピンを刺すスペースがもうなかった…。

展示には結構新しいタッチスクリーンのマシンがあったりし、視覚的にも分かりやすくなっています。説明資料も豊富に用意されていて、それらをお持ち帰りすることもできます。ちょっと変だったのは、こちらのスギハラチョコレートぐらいでしょうか。

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あまりこの手のものは好きではありませんが、売上を建物の維持費に充てているのかもしれません。

追記:このスギハラチョコレートは、リトアニアを代表するチョコ会社である”RUTA”社とのコラボ製品だと分かりました。なるほど、リトアニア特有のチョコなら買ってみてもいいですね!

Sugihara Houseの入場料は大人3ユーロ、学生なら半額の1.5ユーロ。

開館時間
11月~4月:月曜~金曜、11時~15時
5月~10月:月曜~金曜、10時~17時、土日は11時~16時
となっています。上記時間外でも個別に問い合わせることで訪問も可能です。

 

わたぽんのまとめ

杉原千畝のユダヤ人へのビザ発給については、諜報員だったこともあり様々な憶測があります。しかし彼が約6000人のユダヤ人にビザを与え亡命させたことには変わりません。僕は小学生のときに杉原千畝の生涯を描いたマンガを読んで初めて知ったのですが、すべての日本人が、いや世界中の人が彼の行ったことについて覚えておいてほしいなと思います。

彼らは人間で、助けが必要だった。喜ばしいことは、自分の中にその助けを与える決定をする力を見出だしたことである。

杉原千畝はこう言ったとか。
まだまだ謎に包まれている部分もありますし、センシティブな話題なだけに情報が制御されている可能性もあります。杉原千畝に関する本を読むときには、一歩引いて読むぐらいがちょうど良いでしょう。

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杉原千畝を絡めた、示唆に富んだ小説もあります。

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以上、わたぽんでした。ほなね!



わたぽんの簡単な自己紹介

わたぽん(@wataponf1_uk)
高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻中。未熟で失敗ばかりするも、その度に這い上がってきた。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでのインターンも獲得。自分と未来を信じて、夢は叶えられると証明したい。詳しいプロフィールはこちら

ブログ「わたぽんWorld」について

僕、わたぽんの「F1のエンジニアになる」という夢を叶える道を綴るブログ。2014年に運営開始。夢に近づけば近づくほど、更新頻度が減っていきます。
テーマは夢とイギリス留学。僕の生き方が励みになると言っていただくことが増えてきて、とても嬉しいです!

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プロフィール

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高校生の時に「F1マシンをデザインしたい!」という夢を抱き、F1の中心地:イギリスへ。サウサンプトン大学で宇宙航空工学を専攻。そして渡英4年目には、念願であったF1チームでの1年インターンも獲得。現在は卒業し、日本でF1から離れ生活中。 詳しいプロフィールはこちら


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